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「詩篇51篇」紹介

この曲は、ずっと前に作曲した曲ですので、レコーディングも結構古くて、歌声も若くてちょっと恥ずかしいのですが(笑)、僕が作曲した曲の中で、特に多くの方々に歌って頂いている曲だと思います。それは、日本を代表する、素晴らしいワーシップリーダーであり、友人の長沢タカ君が、Growing Up プロデュースのCD「永久歌」で、この曲を使ってくれたという事が大きな理由だと思いますし、この事を通して、神様が多くの方々に触れて下さった結果でもあるのかと思います。

 

この曲を書いたのは、自分はなんて罪深い人間なのだろうと自暴自棄になり、落ち込んでいた時でした。聖書の詩篇51篇はダビデが預言者ナタンに自分が犯した罪を明らかにされた時に書かれた詩篇です。(IIサムエル1112章)その罪が発覚したのは、イスラエルの王であるダビデが、忠実な部下の妻であるバテシェバを奪う為に、その部下を戦死させるようにしむけて、夫を失ったバテシェバを後に召し上げ、誰にも分からないように工作した完全犯罪の後でした。罪が暴かれる瞬間というのは、人が最も脆弱になる時です。言い訳する事も出来ず、完全に降参してお手上げの状態です。ダビデがナタンに逆切れして、ナタンを殺害する可能性もあったと思います。そういった意味では、預言者ナタンもこの罪を明らかにするのは恐ろしかったでしょう。

 

ダビデは、ナタンに行った。「私は主の前に罪ある者です。」(IIサムエル12:13)

 

ナタンからの指摘を受けたダビデは、驚くべき態度を取ります。神様からの言葉であると認め、謝罪するのです。この時のダビデの詳細な心境が、詩篇51篇には記されていて、血と罪に染まった私の心をきよめて下さいと神様に祈っているのです。

 

この曲はこのような詩篇と、個人的な心境の中で書いた曲ですので、最初は悔い改めのムード漂う、スローの曲でした。自分の様な罪人を救って下さい、という思いで書き始めました。しかし、不思議な事にコーラスの部分に差し掛かった時に、心に湧き上がって来たメロディーやテンポは、喜びにあふれたもので、歌詞の内容にミスマッチだと感じたのを覚えています。

 

「雪より白く私の心をきよめて下さい、主よ。あなたの救いの喜びをもう一度、私に返して下さい。」

 

ダビデの罪を考える時、この祈りは厚かまし過ぎると誰もが感じるでしょう。しかし、「私は主の前に罪ある者です。」と告白したダビデに、神様の深い恵みとあわれみが注がれ、ダビデの心にこのような詩が溢れたのだと思います。

 

聖書は神の前には全ての人が罪人であると語ります。そして、私達はそれを否定するか、認めて神様の前にへりくだるかのいずれかです。詩篇32篇で、ダビデは自分の罪を否定して黙っていました。その時、彼の骨は疲れ切り、一日中うめいていたと書かれています。(詩篇32:3-4)神様の前にへりくだらず、恵みを受け取らない人はこのような世界に生きるのです。一方、自分の罪を認め告白し神様の恵みにすがる時、神様はどの様な苦しみや後悔、罪責感の中にあっても喜びを与えて下さり、私達の罪を十字架の血潮によってきよめて下さるのです。

 

「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身をあざむいており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪をゆるし、私たちをすべての不義からきよめて下さいます。」Iヨハネ1:8-9

 

この曲を作曲する過程で、神様の深い恵みとあわれみについて教えられ、当初の構想が大きく変えられたという経験をしました。この曲は、クリスチャンが神様の恵みの中で与えられている喜びを歌う曲です。神様はその恵みと喜びを日本のクリスチャンの心に溢れさせたくて、この曲をも日本中で用いて下さっているのだと思います。

 

この曲で、皆さんの救いの喜びが爆発しますように。

 

 

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