「救いの盾」は、詩篇3篇3―4節の聖句から生まれました。
「しかし主よ、あなたこそ私の周りを囲む盾、私の栄光、私の頭を上げる方。私は声をあげて主を呼び求める。すると、主はその聖なる山から私に答えてくださる。セラ」
これは、ダビデの詩ですが、自分の息子アブサロムが父ダビデの王制に謀反を起こし、ダビデは命からがら全てを捨ててエルサレムから逃れた時に歌われたものです。この出来事によって、誰もがこれでダビデの時代は終わったと思いました。それにもかかわらず、追い込まれて窮地に立たされたダビデから出て来た告白は、「神様あなたは私の盾です。」という言葉だったのです。
このダビデに起こった様な体験をする人はまずいないでしょう。しかし、この直前(2節)の聖句を見て下さい。
「多くの者が私のたましいのことを言っています。『彼には神の救いがない』と。 セラ」
私達が何かに失望したり、裏切られたり、落胆する時、2節のように、人々から投げつけられる言葉や、自分自身の内にわきあがる否定的な思いに悩まされ、恐れたりする事はよくあると思います。
ダビデはこの様な状況の中で、神様は自分の「盾」であるという事を知っていたのです。エペソ人への手紙6章16節では、「盾」についてこのように聖書は語ります。
「これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。」
火矢とは私達に向かって放たれる否定的な言葉や評価です。それらは私達を滅ぼしてしまう程のダメージを与える可能性を持っています。盾の役割は、悪い者が放つ火矢をすべて消すことです。私達が批判を受ける状況の中にあっても、私達を愛しておられる神様の救いに心を向け、神様の約束に信仰を持つ時、神様は私達の心に放たれる火矢をすべて消し、どの様な状況の中にあっても、心の平安が守られ、安息を持ち、前進する力を回復させて下さいます。
様々な人間関係の中で、中傷され苦しむ事もあるでしょう。またSNSやスマホでの様々なコミュニケーションが発達している現代、思わぬ所から、私達に火矢が放たれ、傷つき、悩み、平安を失う人も多くいます。しかし、私達の主は、私達の周りを囲む盾です。この盾によって私達の心は守られ、救われるのです。主はその守りの中で声を上げる私達に答えて下さるのです。
この歌によって、盾なる主に私達は信頼し、どの様な状況の中にあっても魂に平安を持って歩む事が出来ますように。